2013年12月7日土曜日

中国の対外姿勢、日本とインドで大きな違い:対日強硬姿勢は「過去への劣等感」

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●6日、環球時報は記事「米メディア:中印国境協議と防空識別圏は別物」を掲載した。インドには粘り強い交渉姿勢を見せる中国だが、日本には強硬姿勢を崩さない。その理由とはなんだろうか。写真は中印国境。


レコードチャイナ 配信日時:2013年12月7日 13時10分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=80170&type=0

インドとは対話、日本には強硬姿勢=中国が見せた異なる態度―米メディア

 2013年12月6日、環球時報は記事「米メディア:中印国境協議と防空識別圏は別物」を掲載した。

 米ニュースサイト、Regatorは記事「中印国境協議と中国防空識別圏の比較」を掲載した。
  10月23日、中国を訪問したインドのシン首相は、李克強(リー・カーチアン)首相と中印国境協定を調印した。
 同協定はパトロール活動の事前通告など衝突回避のための手続きを盛り込んだ内容だ。

 中印国境協定、そして先日来問題となっている東シナ海防空識別圏はいずれも中国が国境防衛の安心を得ようとしてのアクションだが、両者には大きな違いがある。
 中印国境協定は紛争解決を棚上げにしたという意味で不十分なものだが、中国側は国境での小競り合いで優位な立場に立った後も、コミュニケーションを続ける意志を示している。

 一方、東シナ海防空識別圏では中国は不利な状況に立たされているにもかかわらず、中国は対抗姿勢を解こうとはしない。
 これはなぜだろうか。あるいは背景の違いが影響しているのかもしれない。
 インドに対しては中印戦争勝利の記憶が背景になっているのに対し、日本に対しては反日愛国教育の感情的世論が背景にあるからだ。



レコードチャイナ 配信日時:2013年12月7日 7時10分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=80142&type=0

中国の対外姿勢、日本とインドで大きな違い
=対日強硬姿勢は「過去への劣等感」―米華字メディア

 2013年12月5日、米華字メディア・多維新聞によると、中国は現在、東は日本と、西はインドとの間で領土問題が起きているが、歴史的な経緯から両国間での問題処理の仕方に大きな違いが生じていると、日本の外交誌が指摘している。

 10月、インドのシン首相が中国を訪問、李克強(リー・カーチアン)首相と会談し、中国とインドの間で国境紛争に関して新たな協定として「辺界防務合作協議」(国境防衛協力協定)に署名した。
 4月に中国軍がインド領に侵入したとされる事件が起きたことを受けてのことで、「平穏な国境」や「予測可能な情勢」を求める対印姿勢は東シナ海で防空識別圏を設定した対日姿勢とは対照的となっている。

 日本とインドの間で中国の姿勢が大きく異なるのは歴史的な経緯がある。
 1962年に中国は国境紛争でインドに侵攻したが、軍事的な実力行使に出たことによって国境紛争で優位に立っただけでなく、優越感をももたらしたという過去がある。
 しかし、日本との間には優越感をもたらすような過去はなく、そのため日本は今も中国ナショナリズムの直接的な攻撃対象であり続けており、歴史問題は領土問題の本質でもある。



JB Press 2013.12.06(金)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39375

中国にもいる良識派、
日中は不再戦を誓えるか?
日中セカンドトラックから聞こえる「レッド・チャイナ・ブルース」

 厳冬の北京に来ている(11月29日記)。この数日前から強い風が吹き、急に寒くなったという。
 一昨日はマイナス2度だった。本当か否かは分からないが、幸い、この首都の大気を汚染しているPM2.5は風に飛ばされて、この数日はそれほどでもないらしい。

 今回の中国への出張は、中国人民外交学会という中国外務省付属の研究機関と世界平和研究所との「セカンドトラック」(民間外交)の会議に参加するためである。

 もっとも、ここは中国共産党が支配する現代中国なので、欧米で言うような、政党や政府とは一切関係のないような純粋な民間研究機関があるわけではなく、非政府機関間の対話という意味での「セカンドトラック」というのはあまり正確ではないかもしれない。

■本音の対話はなかった

 一方で、日中関係が困難に直面する折、こうした政府機関同士ではない研究所主体の対話というのもそれなりに意味がある。
 本音を双方がぶつけ合えるからだ。

 先方も長らく日本との友好関係を推進してきた中国の知識人たちである。「建前を越えて、腹を割った話もできる」と少なくとも筆者は一昨日まで少なからず思っていた。

 ところが、対話を終えた筆者の率直な印象は、複雑である。
 尖閣情勢や、歴史問題、さらには世間を賑わす防空識別圏などの中核的な課題では、残念ながら、公式見解以上の創造的な提案が先方から出てきたわけではない。

 自らを客体化した上で、相手の主張を理解しつつ議論ができるか否かが、有意味な知的対話の1つの前提条件だが、中国の人々との議論では、これはことさら困難である。

 なぜなら、中国共産党一党独裁を前提とする限り、そもそも公式見解と異なることは言いようもないからだ。
 公式見解と異なる意見があるのであれば、それは発言しないに越したことはない。

 そうした先方の状況がよく分かるだけに、こちらも一層歯切れが悪くなる。
 このような難しさを双方ともに百も承知の上で、あえて対話するのだから、よけいにややこしい。

 さらに驚いたことに、今回の対話とは別に、中南海で中国の要人と会談を行ったという事実さえ、名前を出して、内容を報道関係者に話してもらうことは、諸般の事情から大変困るというのである。

 日本には報道の自由というものがあるので、取材が行われれば、こちらで統制することはできないということすら、先方に納得してもらうのに一苦労だった。

■尋常ではない日本に関わる言論統制

 こちらに来て不思議に感じたことのもう1つは、中国の十数チャンネルもあるCCTVで、日本のニュースばかり流れていることだ。
 30分程のニュース番組の3分の2は日本関連ニュースである。
 一昨日は、日本の国会で秘密保護法案が反対にあっていることを、日本の報道番組以上に詳しく流している。

 その間合いには、なぜかしら、海上自衛隊の護衛艦が海を行く勇姿や、航空自衛隊の戦闘機が隊列を組んで飛行する映像などが、本題の秘密保護法案とは関係なく頻繁に差し挟まれる。
 サブリミナル効果というのは、このことかと思うほどである。

 先々週訪れたイランと比べても、中国におけるメディアの統制や、言論の不自由さには、相当深刻なものがあると言わざるを得ない。
 ひょっとすると、「部分的」には、これまで圧政や独裁に苦しんできたいくつかの中東の国々以上かもしれない。

 より正確に言えば、中国では、こと日本のこととなると、その言論統制の度合いは尋常ではないということなのである。
 中国人や日本の中国研究者にとっては、ごく当たり前のことであろうが、私のように、本当に言論の自由がないという意味で中東の独裁国家を見てきた者の観点からすると、実に異様なのである。

この背景には、日本という特殊な事象が、中国にとっては混乱する内政の大きな一部になってしまっているという複雑な状況がある。

 そう考えると、私たち日本からの出張者の対応に真摯にあたってくれている、中国の日本をよく知る人々の境遇に、なぜかしら同情を禁じ得なくなった。

■中国の知識人たちのメッセージ

 それでも、今回会った中国の知識人には、私たちに伝えようとしたメッセージがある。
 それは、おおよそ以下のようなものだ。

●・日中関係は国交正常化以来、最悪と言ってもよい状況にある。
 誰も、これ以上の状況の悪化は望んでいない。
●・日中関係改善のために双方が努力する必要がある。
 すでに、一定の経済交流や人的交流が再開している。こうした動きを推進していきたい。
●・環境やエネルギー、あるいは将来的な少子高齢化といった課題で、日中協力を進めていきた。
●・国民感情のこれ以上の悪化を防ぐためにも、様々な分野での人的交流を進めていくのがよい。
 経済界、地方都市、専門家、研究者などの間の多層的な交流が望ましい。

 いずれも、日本のマスコミのニュースには乗りにくい、ごく当り前と言ってもいいようなメッセージである。
 それでも、よく解釈するならば、
 「政治や安全保障上の懸案では進展は図りにくいという現実を認めつつも、経済や人的交流の厚みを一層増すことは、戦略的互恵関係に資するのであるから、対話の扉を閉ざさずに冷静に関係構築を進めたい」
という、中国の良識派の叫びなのであろう。

 もちろん日本から見ても、このような提案はしごく現実的であり、受け入れ可能なものだ。
 ただし、こうしたメッセージは必要にして十分とは残念ながら言えない。

 やはり目の前にある安全保障上の問題が根本的に解決されない限りは、緊張関係が続くどころか、場合によっては一触即発の事態が予想されることに変わりはないからだ。

■日中間の危機管理メカニズムを構築せよ

 この観点から、中国の有識者が神妙な面持ちで、日本側の次のような提案を真剣に受け止めたことは、ささやかだけれど、大きな一歩であった。

 その提案とは、危機管理メカニズムを日中間で構築すべきだし、それは可能である、というものである。
 それは、今回の対話に参加した香田洋二元自衛艦隊司令の経験に裏付けられた具体的な提言である。

 過去40年間を冷戦と冷戦後、海上自衛隊に使命を捧げた本当の「海の男」から、冷戦下において海上事故防止のための協定が結ばれ、毎年の日露間の外交・防衛当局間の事務的な対話が、後には戦略レベルの対話に発展し、その後のロシア軍と自衛隊の間の信頼醸成につながっていったという経緯が詳細に説明された。

 「冷戦下、軍事的に厳しく対立していた日露にできたことが、現在の日中間でできないわけがない
と、香田元自衛艦隊司令が、海の男独特のユーモアと、真摯な説得力をもって説いたことは、中国側に強い印象を与えたようであった。

 中国の有識者たちは、この日本の貴重な提案を要路に詳細に報告したいと繰り返し語っていた。

 結局、軍事的にも海洋進出を積極的に図る中国を、国際社会の基準や常識に誘うためには、こうした粘り強い知的な働きかけが必要不可欠なのである。

 すなわち、日本が自らできる国防や同盟の強化といった方策と並んで、安全保障面における中国に対する冷静かつ説得力のある働きかけが、今後一層必要となってこよう。
 中国側は、危機管理メカニズムの協議が行われるのであれば、おそらく尖閣情勢や歴史問題などで日本に改めて揺さぶりをかけてくるのかもしれないが、それに怯む必要は全くない。

 なぜなら、先方の懐に入り込みながら内部からの変革をじわりと促すような、外交と言うよりは、「内交」とでも呼ぶような奥の深い外交力が、今や必要とされているからである。

■マスコミが煽る国民の対立感情

 今回の対話では、日中間で、双方の過激なマスコミ報道が、国民感情を不用意に煽っていることについても具体的な指摘が行われた。
 例えば、川島真東京大学准教授より、中国の環球時報と産経新聞がお互いを引用している数が相当数に及ぶという具体的な例示があった。

 喧しい記事が、日中双方の新聞の1面を飾るのが、昨今の流行である。
 しかし、それが、どのような心理的効果を双方の国民に与えているかについて冷静に考えるべきであるとの指摘も、このような状況だからこそ重要である。

 この点で、1人の中国の要人が、筆者の故郷でもある岐阜市が、浙江省の杭州市に贈った「日中不再戦」の碑を指摘しつつ、日中は再び戦火を交えてはならないと語っていたことも、いろいろな意味で考えさせられた。

 岐阜市と杭州市の間では、昭和30年ごろからの中国人殉難者の遺骨送還運動などから、徐々に往来が始まり、日中国交正常化の10年も前の昭和37(1962)年に、杭州市と岐阜市の友好の記念として双方の市長による碑文が交換された。
 翌年には当時の岐阜市長・松尾吾策の揮毫、「日中不再戦」の碑が杭州市内柳浪聞鴬公園に、また、杭州市長の揮毫、「中日両国人民世世代代友好下去(中日両国人民は子々孫々にわたって仲良くやっていきましょう)」の碑が岐阜公園にそれぞれ建てられている。

 戦後、これまで中国側の日中戦争の歴史にまつわるレトリックは、日本の牽制のために中国側に効果的に活用されてきたとも言えるが、今こそ未来に向けて、彼らのレトリックそのものを中国側に対して差し向けてみることも1つの知恵かもしれない。

 現在の東シナ海においては、日中不再戦のため、中国側の自制をこそ強く求めてしかるべきである。
 歴史は未来のためにある。
 政府のみならず、国民の様々なレベルで、粘り強く、決して諦めずに中国側に働きかけていくことが必要であろう。

 力の対立が生じつつあるからといって、対話を行わないという言い訳には決してならない。
 トゥキディデスがギリシアの都市同盟の抗争を著した「歴史」においても、対立するスパルタとアテナイは、長い戦いを行う前にも理性的な対話を行ってきていることが詳述されている。

 ちなみに、日中間の双方に対する好感度が極めて低い背景には、特に日本側においては、面倒くさいことには関わりたくないという自然な国民感情もあろう。
 だからこそ、単なる友好親善といった域を超えて、面倒くさいことだからこそ一層の関わりが必要なのだと考えてみたらどうだろうか。

 日中関係の厳しい冬という現実を前にしつつも、私たちは、「春の来ない冬はない」という古い歌を、ここで改めて思い起こしてみることから始めるしかない。

 北京の束の間の澄んだ空気の中で、そんなふうに想ったのは、きっと本当は本音を話したかっただろう、多くの生真面目な中国の人々のせいかもしれない。

(本稿は筆者の個人的見解である)

松本 太 Futoshi Matsumoto
世界平和研究所 主任研究員。東京大学教養学部アジア科 昭和63年卒。外務省入省。OECD代表部書記官、在エジプト大使館参事官、内閣情報調査室国際部主幹、外務省情報統括官組織国際情報官等を経て、平成25年より現職。